ニッポン全国夢だらけ!日本一の夢の祭典「みんなの夢AWARD7」

2017/01/15

ファイナリストの今:第6回 大津たまみさん

2016年2月22日、舞浜アンフィシアターで行われた「みんなの夢アワード6」。2000人の観客の前に最後のファイナリストとして登場したのは、赤いエプロンと三角巾を身につけた大津たまみさん。「私の夢は、シングルマザーハウスを日本中に作ることです」。

時に笑顔で、時に真剣に、時に目を潤ませ語る大津さんのプレゼンに、会場にいた誰もが胸を打たれ、大津さんの夢は、「みんなの夢」になりました。

同年11月7日、シングルマザーハウス第一号が名古屋に誕生しました。名古屋駅から徒歩15分の好立地。白い煉瓦の外観に、陽射しが差し込むリビング。内覧に訪れる方たちからは明るい笑顔がこぼれます。笑顔の中心にいるのが大津さん。大津さんはとにかく明るくて、近くにいると自然と顔が綻ぶのです。けれど明るく楽しい人ほど、辛い経験をされているものです。

20歳から清掃業界で働き、5年後に結婚した大津さん。翌年の1996年、ご子息を出産されました。夫が立ち上げた清掃会社を役員の一人としてサポートしていましたが、2005年、息子さんが9歳の時に離婚。シングルマザーとなりました。

職を探すも、面接で返ってくる答えは「小さい子どもがいるんですね」「子どもに何かあった時、預けるところはありますか?」というもの。やっとありついた時給800円のアルバイトは、子育てとの両立で働ける時間が制限され、手取りは五、六万円。息子さんと納豆パックを分け合って食べるのがご馳走。体重は40キロを切り、「熱を出した息子のそばにいてやれない」と苦しんだこともあったそうです。

そんな日々の中で、「自分を雇う会社を作ろう」と思い立ち、大津さんは家事代行業の会社を立ち上げました。小さなアパートの一室で一人、「株式会社アクションパワー、始まりまーす」と自分を励ますところから始まりました。

マイナスの状態から起業し成功をおさめた大津さんの次なる挑戦、シングルマザーハウス。大津さんに夢アワード秘話や、シングルマザーハウスに懸ける思いについてお話を伺いました。

 

(記事:教来石)

 

――大津さんが夢アワードにエントリーされたきっかけって何だったんでしょう?

大津さん(以下、大津) 仕事でつながりのある方からご紹介いただいて、渡邉美樹さんの講演を聞きに行きました。その時に美樹さんが「みんなの夢アワード」のお話をされていたんです。講演の後、楽屋でお会いすることができて、本気で夢を叶える人のパワーを感じました。「夢に日付を」、というのも目から鱗のようなメッセージでしたし、「よし、挑戦してみよう」と思って。2012年に夢アワード3にエントリーしました。

 

――夢アワード3?

大津 そうなんです。私実は、3年前にもエントリーして落ちているんです。三次審査のプレゼンで、私の前にプレゼンされたのが、夢アワード3でファイナリストになった温井和歌奈さんでした。温井さんのプレゼンが本当に素晴らしくて感動してしまいました。私は審査員の方に見向きもされずに落ちてしまいました(笑)。

 

――その後の4、5にはエントリーされなかったんですか?

大津 そうですね。仕事が忙しかったのと、三次審査で心が折れていて自信もなかったので、向き合うことをやめていました。そんな中でも、シングルマザーの母子が食べるものがなくて餓死した事件や、犯罪者が子ども時代一人で食事をしていたことを聞くにつれ、やはり挑戦したいという気持ちは募りました。

夢アワード6にエントリーしようと思った一番大きな理由は、息子が成人するということでした。

息子が成人した後の私には、二つの道があったんです。一つは、会社も軌道に乗ったし、ゆっくりしようという道。もう一つは、どこまでできるかわからないけど、やってみようという道。「これは賭けだ。落ちたらゆっくりするんだ」、と思ってエントリーしました。

シングルマザーハウスは、やりたいことをやってきた私が、最後に挑戦したいと思っていたことでした。私、特定の宗教には入っていないのですが、神様は信じてるんですね。ファイナリストに選ばれたという連絡をもらった時、なんだか神様に「やってみなさい」と言われている気がしたんです。

 

――休ませてもらえませんでしたね(笑)。ファイナリストになってからはいかがでしたか?

大津 大変でした(笑)。プレゼンの先生が優しくて厳しくて。「伝わらない」「全然ダメ」って一度も褒めてもらえませんでした。本番当日、先生が舞台袖で「自分の夢はみんなの夢。みんなの夢は私の夢。はい、行ってらっしゃい」と背中を押してくださったんです。プレゼンが終わって戻ってきたら、「良かった」と一言。

 

――優勝後の反響は凄かったんじゃないですか?

大津 予想を遥かに超える反響でした。体がもたなくなるんじゃないかというくらいでした(笑)。また、ソーシャルビジネス・ドリームパートナーズから出資を受けられることになったのですが、今までの会社は自分のお金でやってきたので、割と好き勝手に事業を進めていたんですね。今回初めて他から出資をしていただくことになって、こんなに大きなお金を預かっていいのか、自分にできるだろうかと悩みました。

でも経営者として次のステージへ行けるチャンスだとも思いました。いちいち倒れながら、いちいち悩みながら、いちいち背中を押されるんですよね。自分でも自分の未来にワクワクしています。

 

――夢アワードで夢を語られてから、一年経たずにシングルマザーハウスを誕生されましたね。どのようにして実現させたのでしょう?

まず最初に、11月7日(いいな)の日にキックオフしようと決めたんです。何があってもその日を遅らせないぞと。それから、夢アワードで「応援する」とプラカードを上げてくださった株式会社スマートライフさんの力が大きかったですね。

代表の大地則幸さん自身も、シングルマザーの家庭で育ったということで、夢アワードの日に「実現に向けて具体的な話を進めていきたい」とおっしゃってくださったんです。スマートライフさんのおかげで、立地も良く建物も新しくて綺麗なこのシェアハウスで、シングルマザーハウス第一号をスタートさせることができました。息子もこの建物を見て、「お母さんてほんとラッキーだよね」と言っていました(笑)。

シングルマザーハウスの名前は「パークリンク」にしました。パークリンクのキックオフの日には、渡邉美樹さん始め、入れ替わり立ち代わり約120名の方が来てくださって。自分の夢がみんなの夢になったんだなと、とても感慨深かったです。

 

――母子で暮らせるシングルマザーハウスというのは他にもありますが、シングルマザーの自立支援まで手掛けるのは珍しいですよね。

大津 シングルマザーが自立するまでをサポートできるシェアハウスは、世界初だと思います。敷金・礼金はゼロ。最初の二か月は家賃もかかりません。三か月目からは、家賃3万円と生活支援金2万6500円がかかります。

家賃の中には、家具、家電、水道光熱費、インターネット、洗濯機使用料、洗剤やトイレットペーパーなど共用部消耗品代も入っています。生活支援金の中に、掃除・洗濯の家事代行、チャイルドケア、食事代も含まれています。二年目からは、家賃は5万5千円、生活支援金は3万円に上がりますが、自立するまでのステップとしてうちを使って欲しいというメッセージを込めた値段設定です。自立には、優しさと厳しさが必要だと思っています。

 

――シェアハウス全体を見学させてもらいましたが、個室も綺麗でロフトもあって、お風呂にはミストまでついていました。夢アワード4で優勝された吉藤オリィさんのロボットOrihimeもいました。これだけついてその値段は安過ぎですね。

大津 利益を出すよりも、シングルマザーの支援を第一に考えています。ドメスティックバイオレンスなど辛い結婚生活を送っているけれど、離婚に踏み出せないようなプレシングルマザーにとっても、ここをステップにして自立していけると思ってもらえる場所にしたいと思っています。

シングルマザーハウスにある食器はすべて、ご支援くださる方からの寄付でいただいたものです。入居者の方は、多くの方の支えの中で自立を目指すことができます。なのでシングルマザーハウスを卒業したら、今度は支援者の立場になってシングルマザーハウスを応援してもらえる良い循環ができればいいなと考えています。

 

――素晴らしい仕組みですね。

大津 本当は、こんなシングルマザーハウスを、いつか誰かがやってくれるんじゃないかなと思っていました。誰かがやってくれたら、そこに支援という形で便乗したいなと思っていました。でも誰もやらなかったので、私がやろうと思いました。

私って、本当は怖がりなんです。大きな声で話すのは、怖がりの裏返しなのかなと思います。そんな私が、夢のスタート地点に立たせていただきました。正直、シングルマザーハウスは叩かれることが多いのです。特に男性の方から「ダメな女を作る家か」と言われたりもします。でも、美樹代表始め、ご支援者もたくさんいます。だから私は、何があっても旗を振り続けていきたいなと思っています。

 

――大津さんをそこまで強くしているものって何なのでしょう?

大津 一人でも多くの子どもの笑顔を作りたい。経営者失格なのですが、昔から、売り上げよりも、「スマイルをゲットできたか」にこだわって事業をやっているんです。アクションパワーのメンバーにも「笑顔が届けられなくなったら、この会社がある意味ないから」と言っています。

子どもの笑顔につながっていると感じられた時が、一番充足感を感じます。子どもが笑顔になるためには、まずはお母さんが笑顔でいること。お母さんが笑顔でいるためには、経済的に安定して、安心して暮らせることが必要です。

 

――シングルマザーハウスの今後の展望について教えてください。

シングルマザーハウスを、日本中に100棟つくることが目標です。すべて私たちが作るわけでなくても、シングルマザーハウスのモデルを構築して、広がっていけばいいなと思っています。子どものことを第一に考えて、小さな子どもが一人ぼっちでいる時間を少なくしていきたい。

自分がいつまで生きるかはわかりませんが、死ぬまでに一つでも多くの笑顔を集めたいと思っています。シングルマザーハウスが100棟できたら1000人の笑顔を集められる。どうやって1000個集めよう。どうやって笑顔を作ろうかといつも考えています。

 

――素敵すぎます……。辛い時期を乗り越えた大津さんだからこそ、誰かを笑顔にしたいと思えるのかもしれませんね。最後に、大津さんが考える、夢を叶えるのに必要なことって何でしょうか?

大津 夢を具体的にすること。それを日々の行動に落とし込むことだと思います。なんとなくこうなったらいいよな、と思っているうちは叶いません。夢に日付をつけて、断言するんです。「叶える」と。その上で、今日は夢のためにこの行動をしよう、この行動ができたとやっていると、強制的に夢に向かっていくのではと思います。

 

――大津さんを見ていると、私も手帳が欲しくなってきました。

大津 手帳を書く時は、ただスケジュールを書くのではなく、自分の命を何に使うか考えて書くといいですよ。

 

――自分の命を何に使うか……。名古屋で手帳を買って帰ろうと思います。今日はありがとうございました!

 

(取材日:2016年11月26日)

 

大津たまみ(おおつ・たまみ)さん

アクショングループCEO
1970年(昭和45年)生まれ 愛知県出身
株式会社アクションパワー 取締役会長
一般社団法人 生前整理普及協会 代表理事
株式会社アクションラボ 代表取締役
株式会社リンクリンク代表取締役
日本清掃収納協会 会長

▼大津たまみHP 
http://www.action-power.net/tamami/

▼株式会社リンクリンク
http://リンクリンク.com/